2011年10月31日
南極物語 その2
「やってみなはれ」 星野教授(現 西堀栄三郎さん)のこのフレーズ
おとうが越冬中に 西堀さんの本にこの言葉をみつけ 私自身 人生を変えるきっかけになった。
36歳だった当時 その年齢で 何か新しい事をはじめるという 年齢でもないと思っていたし、長女次女がまだ小さく手がかかっていた とにかく家を守るだけ 子供を守るだけで精いっぱいだったのに
この「とにかく やってみなはれ」という一言が
スノボに出逢うきっかけ、 その後 ここまで我が家のなくてはならないスノボへと発展していく。
南極物語3話で 星野教授が言う「やってみなはれ」を 聞いて その時を思い出し
涙が自然と流れてしまった。
3話で 雪上車の燃料切れの場面と おとうが内陸に雪上車で出た時の ドラム缶から雪上車へ給油の時の写真と重なる。
おとうが南極で唯一「死」を意識した場所だったらしい。
最後 宗谷が離れて行く瞬間、観測隊長と越冬隊長が男涙を流しながら握手をする姿、料理長が自分の仕事分野以外の設営にあたる場面、海上保安官の姿、観測隊(夏隊)が2月までの間時間を惜しんで基地整備をするところ、日本の家族から物を送りたくても送る手段がない時・・・・
このドラマには あの2年間のパーツがいっぱい散りばめられていて 南極は何年たっても何十年たっても変わらないんだな・・・・と思う。
今 「南極物語」を たくさんの人が観て 今の日本にも地球にとっても 南極観測の意味があるんだって事を もう一度わかって欲しい・・・・と 私みたいな小さな主婦が言うのも変だけれど・・・・小さな小さな願い
4日には次期越冬隊の壮行会。おとうも久しぶりに見送りに参加。
あの時と同じ気持ちにさせてくれた 南極物語効果を背負って 新しい隊を送り出してくるんだろうな・・・
次期隊の方 その家族の人達 職場の人達 たくさんの人が関わっての越冬
私も感謝の気持ちを忘れず・・・・
おとうが越冬中に 西堀さんの本にこの言葉をみつけ 私自身 人生を変えるきっかけになった。
36歳だった当時 その年齢で 何か新しい事をはじめるという 年齢でもないと思っていたし、長女次女がまだ小さく手がかかっていた とにかく家を守るだけ 子供を守るだけで精いっぱいだったのに
この「とにかく やってみなはれ」という一言が
スノボに出逢うきっかけ、 その後 ここまで我が家のなくてはならないスノボへと発展していく。
南極物語3話で 星野教授が言う「やってみなはれ」を 聞いて その時を思い出し
涙が自然と流れてしまった。
3話で 雪上車の燃料切れの場面と おとうが内陸に雪上車で出た時の ドラム缶から雪上車へ給油の時の写真と重なる。
おとうが南極で唯一「死」を意識した場所だったらしい。
最後 宗谷が離れて行く瞬間、観測隊長と越冬隊長が男涙を流しながら握手をする姿、料理長が自分の仕事分野以外の設営にあたる場面、海上保安官の姿、観測隊(夏隊)が2月までの間時間を惜しんで基地整備をするところ、日本の家族から物を送りたくても送る手段がない時・・・・
このドラマには あの2年間のパーツがいっぱい散りばめられていて 南極は何年たっても何十年たっても変わらないんだな・・・・と思う。
今 「南極物語」を たくさんの人が観て 今の日本にも地球にとっても 南極観測の意味があるんだって事を もう一度わかって欲しい・・・・と 私みたいな小さな主婦が言うのも変だけれど・・・・小さな小さな願い
4日には次期越冬隊の壮行会。おとうも久しぶりに見送りに参加。
あの時と同じ気持ちにさせてくれた 南極物語効果を背負って 新しい隊を送り出してくるんだろうな・・・
次期隊の方 その家族の人達 職場の人達 たくさんの人が関わっての越冬
私も感謝の気持ちを忘れず・・・・
Posted by ごんた3 at 18:05│Comments(0)
│母のつぶやき